第三話 護る剣

序 男の子って

 男の子って、なんか、ずるいよね。

 男と女じゃ体格が違う、っていうのはわかる。背だって、女より大きい男の方が多数派だ。

 アークだって、私より軽く頭一つ分は大きい。レインはアークより小さいけど、それでも私よりは背が高い。

 それで、私の手の届かない木の実を、ひょいと取って口に入れたりする。別に、羨ましいとか悔しいとかいうんじゃないんだ。私は女の中では小さい方じゃないし、もっと身長が欲しいと思ったこともないし。

 なんとなく、ずるいなって思うだけで。

 ただそれだけなのに、木の実が欲しかったわけでもないのに、もう一つ木の実をむしって私に渡すんだな、アークの奴は。そんなに物欲しそうに見えたのかな。心外だよね。

 まあ、美味しかったけど。

 腕力なんかもそう。

 そりゃあ私も一応戦士だし、並みの男に比べればずっと強い。でも、同業者の男なんかが相手になると、やっぱり敵わなかったりすることも多いわけで。

 いつだったかな。いつもの喫茶店で、レインに乗せられてアークと腕相撲したことがあったっけ。腕相撲で気張らせれば、アークの無表情も少しは崩れるかな、なんて私もノリノリだった。それが、私とそんなに変わらない太さの腕だけど、まるで根っこでも張ったみたいに動かなくて。当初の目的を忘れてムキになって力入れたら、少しずつ動いて。アークの手の甲をテーブルに付けた頃には、肩で息してたわ。

 まあ、無表情は崩せなかったんだけどね。

「無事か?」

 鋼と鋼を打ち鳴らす音が響いた時、アークは大きな壁のように背を向けていた。剣で受け止めた斧を押し返す動作に淀みはない。アークの腰が僅かに沈み、直後、牛面の怨霊は大きく後ろにのけぞった。その隙を逃さず、剣が一閃すると牛の頭が宙を舞った。

 ずるいよなあ。やっぱり、ちょっとだけそう思う。

 ちらりと横顔が見える。相変わらずの無表情。烏のような色の美しい黒髪と、同じ色の瞳。白い肌は決して病的ではなく、むしろ闇夜に浮かぶ月を思わせる。せっかく美形なのに、冷たい無表情じゃもったいない。そう口に出したことだって、たくさんある。

 戦場に残された幼いアークをイリアとクラウが見つけた時、既に彼の心は壊れていた。私はそう聞いている。戦災孤児なんて、決して珍しいものじゃない。私とレインだって似たようなものだし。幼い子供が、目の前で家族を惨殺されれば、言葉を失ったり記憶を失ったり、もっと大きな傷を心に負うことだってある。感情が欠落して無表情になるっていうのも、強ち聞かない話じゃない。

 これでも随分良くなったって、初めて出会った時にイリアが言っていた。あの時のイリアの優しい微笑は、今でも忘れられない。

「アーク、イリアとクラウはどうしたの?」

 まだ敵が、どこかに潜んでいるかもしれない。周囲に警戒しながら私は剣を拾う。この瓦礫だらけの廃村でかくれんぼをしたら、さぞかし楽しいに違いない。

「今頃敵を殲滅しているだろう。だから先に俺がここに来た」

 アークが振り返る。

 立ち上がろうとしたら、右膝に痛みが走った。

「っつ」

 ちっくしょう、あの牛野郎。数に物言わせちゃってからに。

 不意に眼前に現れる革手袋。アークの手だ。顔を上げると、高い陽の光が目を灼く。逆光でよく見えないけど、きっといつもの無表情だ。

 右手に力を込めると、冷たい剣の感触。歯を食いしばり膝の痛みに備え、跳ね上がるように立ち上がる。そのまま剣を真っ直ぐに突き出した。

 おぞましい絶叫が廃村にこだまする。よっしゃ、手応えあり。

 私の剣はアークの左脇腹と左手の隙間を縫い、その背後にいるものを刺し貫いていた。

 アークが身体を反転させるが、目の前には何もいない。ただ、私の剣を濃緑色の液体が伝うのみ。

「インヴィジブルストーカー。教えたことなかったっけ?」

 大きく目を見開くアーク。出会った頃に比べれば、随分表情や感情を表に出すようになったけど、それでも久しぶりに見た気がする。

「身を隠す遮蔽物がある場所にこそ出没するタチの悪い怨霊、だったな」

 アークの口元に、かすかに苦笑が浮かぶ。胸に暖かいものが広がる感じ。私は剣を引き抜き、血払いをする。

 いつの頃からか、アークの顔ばかりを見るようになっていた。それは……別にヘンな意味じゃなくて。ただ、一度心を失ったアークが、笑ったり、怒ったり、悲しんだり……そんな表情を見たかった、見つけたかったからで。喜んで欲しい、笑って欲しい。そう思うだけで。だからつい、ちょっかいだしたりからかったりしたくなっちゃうんだけどね。

「アークも結構強くなったけど、まだまだ私には及ばないね!」

「……そんなこと言って、俺が来なかったら実は危なかったんじゃないのか?」

 強ち否定できない。だが断る。

「そ、そんなことないよ」

「でも、ま……」

 周囲に敵の気配はない。インヴィジブルストーカーも、もういないみたいだ。

 アークは剣を背中の鞘に収める。

「無事で、良かった。本当に」

 逆光なのに、笑顔が眩しかった。

 暖かい、と言うか、少し熱かった。胸ではなく、顔が。

 本当……男の子って、ずるいよね……。

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